宮崎葵です。
人は何故セックスするのでしょうか?
種の存続のための唯一の手段であることは間違いありません。
でも多くの人は、快楽を得るため、生活の手段としてセックスしているのではないでしょうか。
では私はどうでしょうか。
『心から愛する人とセックスして子供を作りたい』
セックス経験前に思っていたことですが、やはりこれは妄想に過ぎませんでした。
心から愛する人と数百回セックスしたのにできず、遊び半分でセックスした人の子を宿してしまいました。
世の中こんなものなのでしょうか?
いや、これは罰なのだと思います。
心から愛する人を差し置いて、遊び半分のセックスに身を興じてしまったことの代償です。
セックスは本来は罪深い行為なのかもしれません。
心から愛する人の子を宿すためのセックスのみ成立する行為で、快楽のみを求めたセックス、その行為自体が罪ではないでしょうか。
だから不必要なセックスだと簡単に宿してしまう。安易な行為により人生を狂わせられる。
だから心から愛する人の子を宿すためだけのセックスである必要があります。
私も大きな罰を受けました。
せっかく宿した子、そして心から愛する人さえも私の元から去っていきました。
でも不思議とセックスを嫌いになったりはしないです。
中絶して最初のセックスはいつも通り受け入れることができました。
やっぱり私はセックスが大好きです。
私は何故セックスをするのか?
それはセックスが好きだから。
単純明快です。
今のセックスパートナーはF君です。
彼は私を愛してくれています。
もちろん口ではなかなか言ってくれませんが、セックスすればわかります。
最近はセックスで男性の私への想いが分かるようになりました(思い込みかもしれませんが…)
E君は私の不貞行為を知った途端、明らかに愛のないセックスに変わりました。
掲示板で知り合った男性たちも、誰一人愛を感じることはありませんでした。
でもF君はコンドーム越しでも愛を感じることができます。
男性の愛の籠ったセックスはもちろん良いですが、愛の全くないセックスも悪くないです。
後味が何も残らない、すっきしたセックス。
このセックスはこれからも続けたいな。
今年中に100人の人とセックスしたいな。
私の読者の中にも一人くらい私とセックスしたいと思ってくれる人がいると嬉しいな…。